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自省録2

2016/4/28 世に棲む日々

【走った距離】  3.18km
【今月の累積距離】  270.83km
【ペース】 平均 6'41"/km、 最高 6'31"/km
【天気】 雨
【気温】 最高 19℃、最低 14℃
【体重】  65.3kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
吉田松陰と高杉晋作の生涯を描いた司馬遼太郎の歴史小説
「世に棲む日々」とは変わったタイトルだが、
高杉晋作の辞世の歌

おもしろき こともなき世を
おもしろく
すみなすものは 心なりけり

からとっている
実際には高杉は上の句で力尽きて筆を落としたので、
下の句は野村望東尼がつくった

司馬遼太郎の他の作品と同様に、膨大な資料とフィールドワークに基づく佳作だが、
昨日のブログに書いたように吉田松陰の描き方には迷いがある
もし松陰がこの小説を読んだら、私はこんな人間ではないと心外に思うことだろう

とはいえ、今回の読書の目的は、幕末の志士に思いを馳せながら萩往還を走れるように
なることである。この目的に対しては司馬遼太郎のおかげで思い入れを込めながら
萩往還を走れそうである

吉田松陰が江戸遊学のために萩から三田尻まで萩往還を行くくだり

 松陰が十年の遊歴に出るべく、萩城下を旅立ったのはその翌月、
嘉永六年正月二十六日である。ちなみにこれより五ヵ月のち、
米国がペリーという海軍軍人に艦隊をひきいさせて日本に開国を強要させるという、
日本にとって寝耳に水の事態が発生し、日本の運命にも松陰自身の運命にも
重大な年になってしまうが、むろん、この正月、萩を発つ松陰には
そういうことは予感できない。
 この朝、夜来の雨がつづいている。
見送る者は兄の民治にいとこの彦介少年(玉木文之進の子)らで、
萩の郊外の大谷畷まで同行し、そこで松陰とわかれた。
「わしは、三田尻まで」
ということで、松陰の身柄を藩からあずかっている親類代表の久保清太郎が
そのあとついてきた。それが、親類としての「公務」であった。
三田尻のみなとは瀬戸内海にある。松陰はそこから上方まで船でゆく。
萩から三田尻までの道のりは五十キロで、途中みぞれのような雨がふりつづき、
道のわるさに難渋したが、去年、雪の奥羽をあるきまわった経験を思えば、
なんでもなかった。
ざっと十三時間でこの南下行程をおわり、夕闇が濃くなったころ、
雨のなかで潮のにおいを嗅いだ。
三田尻のまちである。
いまは防府市というこの港市は、戦国いらい毛利水軍の根拠地で、
松陰のこの当時も御船手(海軍)の役所や船を収蔵した船倉が水ぎわにびっしりと
建ちならび、藩の御船手役人もここに常駐している。
いわば長州藩の軍港であり、商港でもある。


高杉晋作が佐幕派のクーデターから逃れるために萩から三田尻まで萩往還を往くくだり

 深夜になり、やがて更けきって二十六日午前二時ごろ、晋作は裏口から出た。
 路上に飛びおりた晋作は、妙なかっこうをしていた。
「田舎の神主が買いものにゆくような」
と、晋作自身があとでいっているように、そんな風体を作った。
手拭ですっぽり頬っかぶりして顔をかくしている。脇差だけは帯びているが、
その刀の柄に香油壷をぶらさげていた。
いかにものんきそうに、わざとぶらぶら歩いた。やっと萩城下を脱けた。
晋作は、山口をめざした。
途中、峠が多く、山路がつづく。
一升谷という難所にさしかかると闇のなかに谷風の吹きあれるさまが物凄かった、
と晋作はあとで語っている。
この一升谷で、山口から萩へめざす佐幕派の壮士団に出遭っている。
かれらは、上士からえらばれた選鋒隊の連中で、クーデターの軍事力になっていた。
それが萩における反対派逮捕のために山口から急行していたのである。
道はせまい。晋作は避けもせずにかれらとすれちがった。十五、六人いた。
すれちがってからその一行がふとあやしみ、
「いまの奴、こんな夜ふけに瓢箪をぶらさげてどこへゆくのだろう」
と、数人が立ちどまった。
その声を、晋作は背中できいてゆるゆると歩いている。
「夜遊びの町人だろう」
と、たれかがいった。みなそれに納得して駈け去ったという。
「ばかなやつだ」
とあとで晋作はひとに語った。かれはこのあと山口へ出て井上聞多を見舞い、
さらに潜行して三田尻(現・防府市)港をめざした。


高杉晋作の逆襲が成功し、佐幕派の藩政府を萩往還の佐々並で威圧するくだり

 もっとも清末藩主毛利讃岐守は、約束より数日遅れて、
山口北方二十キロの佐々並という山間の村までやってきた。
ここに諸隊の最前線があった。
わしが出ることはあるまい。
と、晋作は山口を離れなかった。
出れば、いかに支藩の藩主とはいえ晋作は武士階級の礼をとって
平伏せねばならないであろう。
とすれば、せっかく武士軍を破って意気の騰っている諸隊の兵士を失望させるかもしれず、
場合によっては晋作に裏切られたような、それに近い失望の思いをもつかもしれない。
もっとも清末藩主毛利讃岐守の諸隊に対する接し方も妙なものてあった。
讃岐守は諸隊を刺戟せぬよう、わざと平装でやってきた。
それも、諸隊の陣営に入るのではなく、諸隊と三百メートルも離れた山上に床几をすえ、
腰をおろしたのである。諸隊の陣営へ行ったのは、使者でさえなかった。
生命の危険を感じたのであろう。中間が文書を持って、諸隊にわたした。
その文書は休戦の勧告であった。むろん、藩政府軍も休戦する。
休戦の上、双方撤兵する。藩政府軍は萩へ、諸隊は山口へ、というぐあいである。
これに対し、諸隊の態度は強硬であった。休戦には応ずる、ただし七日間にかぎる。
撤兵については応じない。
すべて、山口にいる晋作が指示した。
敗者である藩の腰は、当然弱かった。
結局、この日の翌々日、藩政府軍は前線からいっせいに撤退し、萩にもどった。
それにひきかえ諸隊は萩のまわりを囲んだままであった。
この間、晋作は山口の旧政事堂に居つづけている。そのそばに力士隊総督の伊藤俊輔、
鴻城軍総督の井上聞多が、つねに纏わりついていた。

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by totsutaki3 | 2016-04-28 21:10 | 読書 | Comments(0)

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