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自省録2

2017/10/3 大江健三郎 作家自身を語る5 日本人作家評

【走った距離】  k0m
【今月の累積距離】  37.64km
【天気】 晴れ
【気温】 最高 27℃、最低 21℃
【体重】  65.6kg
【コメント】 
 大江健三郎の日本人作家評
 三島由紀夫、阿部公房、司馬遼太郎、村上春樹
 本来なら1日1人づつ紹介したいところだが、
 ノーベル文学賞の発表が明後日なので、一気に紹介。

 ■三島由紀夫

 三島由紀夫氏などは最初から、完成した作家としての自分を信じていて、
「私はこういう者です」と世間に表明する力があった。最初から完成度のある
スタイルを示す人。そういう人が早熟な作家だと思います。私の場合は、文学は、
こういう方向に掘り進んで行けば面白くなる、そういうことはわかってるんです。
しかしそれは必要条件でね、だから自分にはこのように進んで行く必要があると
わかって書いていることは確かですが、そのように自分か手探りする企ての成果を、
読者からあるいは世間から十分に受け止めてもらえるという確信はない。
十分条件が自分に備わっているという自覚はないんです。球を受けてもらえるか
わからない相手に向かってボールを投げてるような出発だった。
三島由紀夫氏は当時、もう見上げるような大家で、私より十歳年上にすぎないのに、
二十五歳も三十歳も上の感じがした。そして、自分かやる文学的行為、社会的行為が
どのように受け止められるかについての確信が、三島氏にはあった。世間に
受け止められなくて暴投になっても、それは自分の責任ではなく、日本の読者に
その能力がないせいだ、という確信がかれにはあったんですね。


■安部公房

 その頃、安部公房が好きでした。安部さんやフランツ・カフカを読んでいた。
そういう寓話として小説を作る人がいて、面白い。しかし私は、寓話を作ることは
やめよう、できるだけ現実生活に引きつけて書いていこう、と思った。そうやって、
日本で同時代の安部公房とは違う、自分のオリジナリティーを作ろう、と思った。
しかもですね、リアルな現実生活と密着して独特な小説を作る人たちには、
「第三の新人」という作家グループがいた。かれらは人生を、あるいは社会を
よく知っている人たちです。私は地方からのポッと出の若者で何も知らない。そこで
僕の小説は、リアルな現実をとらえることをめざすんだけど、観念的な、
ある言葉から始める、という書き方をやろうと考えた。
 私の書いた小説が、印刷されている以上、残っているいくらかの本が、
未来の少数者にこれは面白いと熱中してもらえることはあるかもしれない。
その時に私はお化けになって出て、「そうです。私は面白いことを書きました!」
といってやろうと思ってるところはあります。長江古義人などという風変りな人物を
主人公にして三巻の連作を古く、そうした作家はこの国にほかにいなかったはず。
あんな人物を小説に作るために悪戦苦闘してきた私というのは…… 
まあ、面白い人生でしたよ。
 しかし私にはいま、世界的に大きい読者は居ないし、この国でも同じ。
同時代の純文学では、読み継がれていくだろうという作家は他にいます。
安部公房がそうでしょう。亡くなってからあまり大きい波はまだ起こっていないけれど、
見事な全集はあるし、あと二十年のうちには世界最大の作家の一人として
再認識されるだろうと思います。カフカとかウィリアム・フォークナーとかと
同じようにね。安部さんはそういうスケールの作家です。私はやはり本を読んでは
頭で考える小説家なんです。何もかも自分の頭の中で考えて、作りあげる小説家。
奇跡のようにポコッと凄い作品がやってきた作家じゃない。大規模に自分が
読み返されるとは思いません。 


■司馬遼太郎

 私自身には、それほど大きい反響があったという記憶はありませんが。
ただ作品を発表した直後のこととして、覚えていることは二つあります。
 一つは司馬遼太郎さんから長い手紙をいただいたことです。原稿用紙にして
五枚くらいの。「最後のシーンはかつて小説に書かれたことがないシーンだし、
きみのこれまでの文章として一番いいんじゃないか」という賛辞でした。
ところが自分としてはそのシーンが大切なものだけに、自信はなかった。
そこで何度も司馬さんのお手紙を読んでいるうちに、腹がたってきたわけなんです、
私は(笑)。それで司馬さんに、「あなたの評価の仕方は、無責任じゃないだろうか」
という返事を、やはり原稿用紙五枚くらい書きました。そして、「われわれは
お互いに褒めことばの交換をするだけの手紙を書いたりもらったりする、
そのために本を贈り合うという習慣はもう止めた方がいいと思う。私としては
書いた本はお贈りするけれども、お返事をもらうことは辞退したい」とも書きまして、
そのとおりになりました。
 それから十年近く経って、司馬さんがお亡くなりになる少し前でしたが、
ある席でお会いしたので、「無礼な手紙を書いて失礼しました。自分としては
作家として追い詰められたような気持ちだったし、この褒め言葉を頼りに
自分の不安をゴマカスようじゃだめだと考えて、ああいうことをしました」
といいました。すると、「立派な手紙だった」といわれました。
司馬遼太郎記念館を探されると、私のその手紙が出てくるかもしれません。
 今度あらためて『懐かしい年への手紙』を読んで、あの最後のシーンについて、
司馬さんは本気で褒めてくださったのかもしれない、と思いましたが……

 司馬さんの最初の頃の、『鬼謀の人』という大村益次郎を書いた短篇を含む
小説集に、帯の推薦文を書いているのが私なんです。ジェームズ・ボンドの
シリーズが一冊だけ訳されていた頃でしたが、私は、「吉川英治と
イアン・フレミングの読者を共に獲得する国民作家に、司馬氏はなられるだろう」
と書きました。版元の新潮社はその帯をあまり長い問使いませんでしたけどね(笑)、
しかし、あの予言は正しかったと思う。


■村上春樹

 最近、朝日新聞の文芸時評で、加藤典洋さんが日本の読者と海外文学の
輸入状況について書いていられた。「自分か若い頃、大江が外国文学を読んで
作った日本文を、つまりそのように、外国文学の影響を受けている日本の
現代文学を読んだ。いまの世代はもっと広く新しい外国文学の受けとめを
日本文学にして、大きい読者をえている」というように。
 私の日本文の書き方がはっきり古いものとなる、新しい大きい波が押し寄せた年が、
『懐かしい年への手紙』の出版された年だった、としみじみ思います。私の文章は
外国語を読むことで影響を受けていますが、外国語から受け止めたものを
いったん明治以来の日本の文章体に転換する、それから自分の小説の文章を
作っていく。
 ところがばななさんも村上さんもそうですが、かれらは外国文学を自分の肉体で
まっすぐに受け止めて、そして自分の肉体から、文章体というよりむしろ口語体、
コロキアルな文体として自然に流れ出させている感じを受けます。私の小説の文章体、
すなわち書き言葉的な特質が過去のものとなって、その先の、生きた口語体の文章を
お二人が作り始められた。そして現在、とくに村上さんは、自分の口語体を
新しい文章体に高めるというか、固めることもしていられて、それが世界じゅうで
受け止められている。その新しいめざましさは、私など達成することのできなかった
ものですね。
 私はそれこそが望ましいことだったと思います。村上春樹さんの小説は
うまく書かれた文章で、翻訳しやすいということもあるかもしれませんが、英語、
フランス語の翻訳者は非常に注意を払っていて、いい翻訳を作っています。翻訳賞を
選ぶ仕事をやっていたので、十年ほど何種類か読みましたが、それらがフランス語、
英語の文学として受け止められていることは確実で、それは安部公房さんも
三島由紀夫さんも、そして私もできなかったことです。日本文学始まって以来の
ことなんです、村上さんの仕事の受け入れられ方は。この国でどんなに評価されても、
されすぎということはありません。ノーベル賞の授賞も十分ありうるでしょう。
その際、日本的かどうかということは私たちが心配することではなくて(笑)、
世界の読者が考えることでしょう。
 そこで私の思うことですが、日本語で書く、日本語で書いてあるってことは
根本的なことで、日本語というものが持っている独自の力はあるんです。
「祖国とは自分の国の言葉だ」といういい方がありますね。私にはその意識が薄くて、
文壇にある日本語からエグザイルするというか、なんとか脱出して
自分の新しい言葉で文学を作りたい、つていう気持ちもあったんですが。そして
国際的に読まれる小説を書きながら、村上さんにも自分は日本語で書いている
という意識が根本にあると思います。いまの私かそうであるように。その場合、
それらはやはり「日本文学」なんです、明らかに。
 私自身はつくづく二十世紀の作家だったと思いますが、二十一世紀の
村上さんたちの仕事を眺めていて、今世紀の最初の三分の一は、日本文学に
とって世界的に評価されるいいチャンスじゃないかと思い、その時期は始まっている、
と強く感じますね。この国で、純文学で後に残る作品を生み出すことはいっそう
難しくなるかもしれませんが、しかし純文学を作り、純文学を読もうとする人間だけが、
本当の文学を読む力を身につける。知的な創造への力を得られるんです。
 やはり、あらゆる芸術の根幹にあるのは言葉です。そしてその言葉を究極まで
みがいていけば到達点は詩の言葉で、それも昔のように歌う言葉ではなく、
限りなく散文に近づいたエッセンスのようなものが、私は文学の言葉の最後の
ものとして再興するだろうと思います。それに対して危険なのは、本当の文学じゃない
文学を作ろうと平気でめざす新作家がいかにも多いことです。それを書くこと、
読むことが小説に関わることではない、それは作り手にも、読み手にも、
本当の文学に到る努力じゃない。そのことに気づいてもらうために、
私は売れなくても余裕のあるような顔をして、純文学としての小説を
書き続けています。


Q:芥川賞候補になった村上春樹さんの「風の歌を聴け」を評価されなかったのは
なぜでしょう。
A:私はあのしばらく前、カート・ヴォネガット(ジュニアといっていた頃)を
よく読んでいたので、その口語的な言葉のくせが直接日本語に移されているのを
評価できませんでした。私は、そうした表層的なものの奥の村上さんの実力を
見ぬく力を待った批評家ではありませんでした。


「大江健三郎 作家自身を語る 」終了





by totsutaki3 | 2017-10-03 22:02 | 読書

市民ランナーの市井の日常。 日々の出来事、感動を忘れないために
by totsutaki3

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